L A L E B E N I  B l o g
☆the daily life of the world I see☆
Lalebeni Diary : 日常

母の手とわたしの手

雨上がりの週明け

雨上がりの週明け。
週末にみれなかった朝日を観たくて、いつものお散歩道に行きたかったけれど、今朝はわんこは別の場所に行きたかったみたい。

彼にも彼の気持ちがありますよね。
今日は珍しいルートでお散歩。私もわんこも気分転換な朝のはじまり。

町中の木々もあちこち紅葉が見ごろの様で。
街中は国内外の観光の方でにぎわっていますね。

そういえば、今年はまだちゃんと紅葉まだ見に行ってないなぁ。
どこかに見に行きたいなー、そんなことを思う今日このごろ。

できるだけゆったりした気持ちで紅葉を見れるところに出かけたいなー♡

帰り道の話

週末、家族で食事に行ってきました。

先月誕生月だったので、お店の方からスイーツをいただいて、久しぶりに家族で記念写真を撮ってもらって。
家族で写真撮る機会ってあんまりなかったりするから、それが何気にすっごくうれしかったかったなー♡

そんな食事に行った帰り道。

なんとなく手相の話題になり、母の手を見せてもらうと、私の手となんとも似ていることに気付きました。全く同じではないものの、おおまかな線や全体的な雰囲がそっくり。

もちろん手相を読んだりはできないので、細かいことはわかりませんが。

ただ改めて思ったんです。
『あぁ、私は母から生まれてきたんだなぁ。
この手でずっと、育ててくれたんだなぁ』と。

そんな母の手を見て改めて『ありがとう』、そんな気持ちになりました。

当たり前って、なに

当たり前といえば、当たり前なことかもしれないですけどね。
でも生まれてこれたことって、なに一つ当たり前なんかじゃ、ないですよね。

この世界にあるこの地球の、この国のこの家族を自分自身が選び、そして父と母の愛に包まれることで、ここに生まれてこれたこと。そしてたくさんの愛の中で、今を生きていること。

この世界に、当たり前のことなんてなにひとつ、ないんですよね。
わたしはいつもそう思っています。

伝わってるはず、わかってるはず、こう思ってるはず。

身近な存在であれば特に、そんな“当たり前”のように考えてしまいがちだったりするんですよね。それで、本当に大切なことを言えていなかったり、時に想いがすれ違ったり、感情が動くことがあったり。

でも、身近だからって、いくら似ていたとしても、いくらずっと一緒に居たとしても、いくら愛していて大切であっても、全く同じ人間じゃなくて、みんなお互いにそれぞれなわけで、だからこそ当たり前なことはなくて。
それに、想いのすれ違いも深い愛がゆえのことだったりして。

だからこそ、感謝や想いを、その都度目を見て伝えていく、もしも感情が動いた時にはその本音を自分の中に掘り下げて見つけていく。
身近な存在に対してだけでなく、いつでもそうしたに瞬間に向き合い、ひとつひとつ大切にしていく自分でありたいと思っています。

今週もみんなが愛をたくさん感じる毎日でありますように。